エッセイ 民藝

河井寛次郎と岡潔の言葉から、民藝について考える

 

「オカキヨシって知ってる?」

数学に全く興味のない私に岡潔を教えてくれたのは大学時代の友人だった。

それから友人と共に独立研究者 森田真生さん
『数学する身体』という本の出版記念イベントに参加した。
そのとき一人ひとりに手渡ししてくれたサイン本も持っている。

その後も講座「岡潔を読む」や「数学の演奏会」「数学ブックトーク」
などの講演会に参加。

森田さんはいつも腹式呼吸でしゃべる。
岡潔の話をする時の活き活きした表情とキラキラした目が、
まるで子どもの様に無邪気なのが印象的だった。

正直、数学者岡潔が世界的にどんな功績を遺したかは全然覚えてないけど、
『日本のこころ』という岡潔の思想が書かれた本を読み解く内容が
とても面白かった。それで何度もイベントに足を運んだのだ。
それが2015年の事。

森田さんの本の中に岡潔の言葉を借りた、こんな一節がある。

自他の別も、時空の枠すらをも超えて、
大きな心で数学に没頭しているうちに、
「内外二重の窓がともに開け放たれることになって、
『清冷の外気』が室内にはいる」のだと、
彼は独特の表現で、数学の喜びを描写する。

新潮社『数学する身体』より引用

 

 

翌年の2016年。
母と島根に旅行した時の事。
以前、河井寛次郎記念館に訪れて以来ファンになった
河井寛次郎を追っての旅だった。

お弟子さんの森山窯や出西窯、袖師窯、湯町窯など
窯元巡りの合間に、足立美術館へも立ち寄った。
そこにも河井寛次郎の作品が展示され、こんな言葉が紹介されていた。

人に好かれるかどうかは知りませんが、
自分の好きなものを自分で作ってみようというのが、
私の仕事です。

そういう際に表現されるぎりぎりの自分が、
同時に、他人のものだというのが自分の信念です。

ぎりぎりの我に到達した時に初めて、
ぎりぎりの他にも到達します。

自他のない世界が、ほんとうの仕事の世界です。

講談社『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』機械は新しい肉体より引用

これを読んだとき、岡潔の言葉が重なった。

数学に没頭した岡潔と、作陶に没頭した河井寛次郎。
一つの事について繰り返し寝てもさめてもずーっとその事について考えて。
身体を研ぎ澄ませ、思考を巡らせたその先にある境地が「自他のない世界」。

どんな世界なんだろう??

 

 

森田さんの本には道元禅師の一句も紹介されている。

聞くままに
また心なき身にしあらば

己なりけり
軒の玉水

自分を忘れて雨の音に聞き入っている。
その瞬間は自分が無くなり雨を意識することはない。
次の瞬間、ふと我に返る。
たったいま自分自身が雨だった事に気がつく。
これが本当の「わかる」という経験なのだと。

その「わかる」という経験 = 河井寛次郎にとっての「ほんとうの仕事の世界」
なのだ。

 

 

その上で柳宗悦が定義した民藝の条件を見てみる。

民藝品の定義

  • 実用性:鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
  • 無銘性:特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
  • 複数性:民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
  • 廉価性:誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
  • 労働性:くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
  • 地方性:それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
  • 分業性:数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
  • 伝統性:伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
  • 他力性:個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

(日本民藝協会から引用)

 

これらの条件は河井寛次郎の言う「ほんとうの仕事の世界」へ
通じているように思う。

誰もが繰り返しの鍛錬により、肉体と精神を研ぎ澄ませると
道元禅師の言ったような「わかる」を経験できる。

手仕事という手段で本当の「わかる」を経験したものを民藝と呼び、
それは寛次郎が追い求めた「ほんとうの仕事」でもある。

数学という手段で本当の「わかる」を体現したのが岡潔なのだろう。

 

 

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